今回・次回と、社内評価について取り上げたいと思います。
かつては評価=出世だった
なぜ評価が大事なのでしょうか?
伝統的な日本的経営での人事の仕組みをここでは仮に日本的人事とよびましょう。その特徴はたとえば以下のようなものです。
- 長期雇用&強い解雇規制
- 長期雇用とひきかえに会社側が人事権を握る
- 従業員は職種選択も勤務地もすべて会社の命令に従う
(ほかにもあります)
ここでは従業員の「こんな職種・仕事に就きたい」「ここで働きたい」といった主体的な希望は頻繁に無視されます。
すると私たち従業員に与えられた社内のキャリア形成の選択肢は2択しかありません。
1 仕事をがんばって出世する
2 仕事をがんばらず出世をあきらめる
そして評価とはこの選択肢1をとる際に必要なものであっで、2の人には不要でした。
ところがこの状況が変わってきています。評価を高めることは、出世を望まない人にとっても大事になってきているのです。
日本的人事はそろそろ限界?
昨今は企業が権限をもって人事異動させる、日本的経営が制度疲労をおこしている感じがああります。
僕はなぜトヨタの人事を3年で辞めたのか|髙木 一史|note
日本を代表する超一流企業であるトヨタ。そのトヨタを辞める理由として、この方が挙げられている理由のひとつが、
自分の人生やキャリアについて自分に決定権がない
ということでした。
日本的人事が限界にきているのは考えてみれば当たり前の話です。共働きがスタンダードになってきている昨今、夫婦とも転勤有り総合職でどうやって夫婦生活を成り立たせればよいのか。
もちろん会社側が配慮してくれるケースもありますが、やはり夫婦どちらかが涙を飲んで仕事を辞めなければならないケースが多い。
また転職が当たり前になる中で、総合職として明確な専門性をつけづらくなるのもつらい。
こういう状況のなかで、社内公募制度を取り入れたり、ジョブ型雇用に移行する会社が徐々に目立つようになってきています。
またコロナによる在宅勤務の広がりもジョブ型の移行を後押ししそうです。
その会社でのキャリアはもはや二択ではない
このように、従業員側にキャリアの決定権が移っていったり、社員側も自分の希望を主張できるようになっていくと、会社内でのキャリア形成はもはや出世を目指すかどうか、という二択ではなくなってきます。
- 何の仕事をするのか
- どこでだれと働くのか
- 週に何時間どらくらい働くのか
- 最適なワークとライフのバランスをどう定めるのか
みたいな多様な選択肢が生まれてくる。その際に大事になるのが評価です。
当たり前ですが、多様な選択肢のなかには自分の希望と会社の希望が折り合わない部分もでてきます。
<イメージ図>
たとえば上記イメージ図では両者が「勤務地」「給料」の2点しか折り合っていません。
ここで社内評価が高ければ、会社が自分の希望になるべく合わせようとしてくれる。
この関係は、転職における市場価値(マーケットバリュー)のもつ意味合いと同じです。
キャリア形成の基本戦略、働きたくない人ほどマーケットバリューを高めるべき理由 - キャリアについてのよしなし
評価が高ければ高いほど自分の希望が通りやすい、自由度の高いキャリアが実現できます。つまり評価というのは社内における市場価値を代替するものと考えることができます。
出世したい人にとって評価の重要性が低下する現実
逆に出世したい派の人にとって、社内評価を高めることの相対的な意義は低下しているように思います。
なにせ少子高齢化で上が詰まっている会社が多いですので、ちょっとやそっと評価されたところでなかなかポストにつけない。
すると出世派にとっては、出世=より上位の肩書きを得ることの実現のためにはむしろ転職で上が詰まってない会社を探すことの方が大事になります。
話が脱線しましたが、とにかく上述したように社内で良い評価を得るというのは出世志向の有無に関係なく、さまざまな人にとって非常に大切なことなんですね。
ということで次回は最適な出世の戦略について書いていきたいと思います。